2012年6月14日木曜日

道着のこと

昨日はやっと雨が上がった。
雲間を貫くようで貫かないお天道様を眺めつつ、道着の洗濯をする。

袴は洗濯ネットへ、上着はそのまま。
規定量の洗剤と柔軟剤を入れて、スタートボタンを押す。
この道着、気がつけば3揃いにもなってしまった。
最初に買った化繊の紺色上下、審査に備えて買った木綿の上下、そして合宿ということで、替えとして急遽揃えた黒の化繊だ。

いずれも、ネット最安値である。上下揃いなら、6000円以上で買ったことがない。
いや、木綿だけは別々だったかな。でもそれでも、ネットを調べ尽くして最安値で買った。たぶん、同じような合計額だったと思う。

この武道を始めた当初、何も分からないから、安い化繊の上下を買って、指導者の先生に顔をしかめられたことがある。それはもっともなことだ。審査では着装の正しさも点検項目に入っているから。
化繊では、見栄えがよくないと言うことだろう。

それはそれとして伺っておくとして、私のように、生活費の稼ぎから身の回りのことまで、何もかも一人でこなす生活をしているものにとって、木綿の装束は負担が大きい。毎回アイロン掛けをするのは気力が消耗するし、洗濯屋さんに出すようなお金があるわけがないからだ。

ゆえに、化繊の装束を普段は愛用しているわけだ。それも、できるだけ手入れに手間がかからないように、あれこれの改造を施して。
実のところ、こういった手仕事が、楽しみの一つでもある。その延長で、居合帯や、杖袋や、袴の下に穿く短パンまで、100均の布で縫ってしまった。ついでに、名札も。

ただしそうかといって、木綿の装束の風合いは、やはりすばらしい。
どっしり感が、ちがうのだ。
だから木綿の装束は、公的な場や、緊急時の代打として使うことにしている。

色々なところで稽古していると、道着にもいろいろあることが分かる。
織り目も鮮やかな刺し子の道着だが、実は化繊という、見た目と実用性を兼ね備えた高級品もある。
方や、百戦錬磨の道着、もとは黒だったのだろうが、すでにようかん色になっているのを着ている方もおいでだ。

人が自由になるのはただ1つ、自分をとりまく何かを、どう感じるかだけだというのが真理とするなら、私はいずれの道着も、すばらしいものだと感じる。そこでは素材がどうとか、見た目がどうとかということを感じない。その人にとってよい道着なら、それは最高の道着なのだろう。
…ま、手入れが悪くてクサいのや、カビが生えたようなのはごめん被るがね。

気付けば、洗濯機がピーと鳴って、装束が洗い終わった。
ばたばたと袴を払い広げ、襞を整え、物干し竿に干す。
見上げれば、綿を引きちぎったような雲が、幾重にも重なって飛んでいく。
お天道様は、相変わらず、お顔をお見せにならない。

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