2012年5月29日火曜日

杖道稽古メモ

今日はJ先生がお休み。なんでも首を痛められたという。
お大事になさって下さい。

それで先達の皆様と稽古。ウチの道場は少人数だけに、和気藹々と、しかも臨機応変に稽古できるところもすばらしい。
皆で稽古していると、お師匠様が細かく、技の留意点を指摘して下さる。
例えば1本目着杖についても、これまでとは一段上のあれこれをご指導頂いた。

ふむ。わかったぞ、出来てるように見える、思えるという段階とは、また別の境地があるんだな。
それは限りがない、ということなのだろう。

稽古終わり頃、しばらくお休みされていた先達の方がいらっしゃる。
会費をお持ちになったのだ。

一通りの稽古後、引き落とし打ちの相対稽古をその方と行う。
その力強さ、まるで古川先生に打ち込まれたときのようだ。

また、おいで下さい。

2012年5月11日金曜日

武芸と人格

侍は、とにかく武芸に精を出すべきである。
広く世の中の人を見ると、武芸を好む人には、人柄の悪い人は少ない。しかし学者はたいてい、人柄が悪い。
学問をする人の中で、ひねくれ者は回りくどい役立たずになり、才能がある人はやりたい放題のわがまま者になる。いわゆる、学者馬鹿という者である。
武芸者には頑固な人もいるが、その人柄は、学問をした者より、たいていは良いと言う事が出来るだろう。

湯浅常山*『文会雑記』

*湯浅常山:江戸中期、岡山の儒学者。著作に『常山紀談』など。
常山先生は名の知られた学者であると同時に、武術の稽古を欠かさなかった人のようだから、こうおっしゃるのももっともだ。

新弟子はずいぶん長い事、学問の世界にいた(今もいると言っていいかも)ので、常山先生の言う事はもっともだと思う。杖道を含め、武術を稽古し始めてから3年ほどになるが、この世界には人格者がいるものだなぁ、と感心する事たびたびである。
これを、武道界にいじわるな人はいない、と勘違いすれば、それは論理的でない上に甘えというものだが、今後どのような立派な方に出会うかが、楽しみではある。