2013年6月17日月曜日

ブログ再開のこと

M先生にお説教を頂く。
「オマエ、またサボッテイルな。週に一度はブログ書け。」
はは-、とお受けして、また記事を再開することとする。

そもそもこのブログの真意は、本会サイトの検索順位向上を目指したものであった。
その目的を果たした今日、そろそろいいでしょう、と、すっかり放置していたわけである。
しかしM先生、毎日のようにご覧になっているとおっしゃる。
とくれば、弟子たる者、いかでか放置すべけんや。

加えて、先生がご覧になっている以上、いわゆる客寄せ記事だけに終わらせることも不適当だ。
深く考えたことどもを含め、突っ込んだ記事を記すべきだろう。
それをきっかけに、またいろいろご教示頂けるかも知れない。

口上を終わる。

今日は稽古日だった。
最近、当会も新弟子が増えたのはいいことだ。
ただし、いいことばかりでもない。

武道のなんたるかを知らぬまま、スポーツクラブにでも通うような気でいるからだ。
お師匠様や先達の方々は、それをあまりうるさくおっしゃらない。しかし私はそうは思わぬ。
礼に始まり礼に終わる、その背景を知らなくとも、形だけでも遵守してもらわなければ、道場の場が崩れてしまうではないか。
それでは、私は気持ちよく稽古することは出来ない。

この点に付き、会長先生がご本にお書きになっていたことを思い出す。
正確には忘れたが、(格闘技気分の者と)老人はたちが悪い、というようなことであった。
教えを素直に受け取らず、聞く耳を持たないからだろう。

体が衰えようとも、学ぶ気があればわざを身につけられる、それが武道の素晴らしいところだが、聞く耳を持たないのではどうにもならぬ。
お師匠様以下みなさまは、それをご存じだからこそ放置しておいでなのかも知れない。

となれば、ここは私のつとめであろう。礼を教えることで、私もまた教わることもあろうし。
などと思いながら道場に控えていると、とある老人の新弟子が、礼もなくずかずかと道場に入ってくる。
ちょっと待って下さい、やり直し、と言い、場への礼の作法をやってみせた。

新弟子の顔は見る間に不機嫌となり、なんであなたがそんな事を言うのかと抗弁する。
そうではない、知らないから教えているのだ、と答えたが、納得しない。ついでに、そんな事をいちいち言うなら、全部紙にまとめて見せろ、と言う。

全てのことを一度に教えることは出来ない、なんのために段位があるのかわかりますか、と諭したが、やはり不服の模様である。
これは、武道です。どうしても不服なら、私と立ち会わねばならないのですよ? それもおいやなら、お帰りなさい、と言ったところ、ようやく不承不承従った。

人と人との関係だから、私が全面的に正しいなんて事はない。
私の誤りは、お師匠様に叱って頂くだけのことだ。そして、新たに得ることがある。

お他人様の倍も学校に通っておきながら、学ぶことの楽しさを、私は武道を通じて初めて知った。
教え方の本は世間にごろごろしているが、教わり方の本や、教わり方を教える人が、どうも不足しているように私は思う。

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