2013年8月23日金曜日

至らなさ

高段の先生には、居ずまいというものがある。



人は独り居を慎むべしと言う。
古いからと言って、分けのわからないお説教は鼻であしらいたい私だが、この教えは受け入れている。

私には居ずまいがない。
外に出かけ、歩いてふと気付くと、表情が険しくなっているのが自分でもわかる。取り立てて不機嫌の要素が無くてもである。

修業者として恥ずべきことだ。
武を習う者は調和を保つため、習熟につれて温顔を養わねばならぬ。温顔でなければ、習熟したとは言えない。

調和を欠けばおのれを不幸にする。
若い頃は闇雲にあれこれ手を出して、限られた技のみ身につけることに汲々としていた。素のおのれが円だとすると、トゲを突き出すようなものだ。確かに身に付いた技は多いが、それがおのれを幸せにしたか?

武も同様と思う。
人をあやめる技を身につけた者は、人を救う技をも身につけねばならぬ。そうでなければただの乱暴者だ。今はまだ余裕がないが、いずれその道に進むつもりだ。

それはともかく。
各種の武道、見上げればいろいろな上段者が居る。トゲを突き出した馬鹿者も居なくはない。しかし概して高段者の先生は、穏和な方が多い。

いつになれば、あのような温顔を身につけられるのだろう。

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