2023年1月11日水曜日

生老病死 時間とは何か

出稽古先で打太刀を務めて下さった先達の体躯が、細くなられていた。 遠くからお見かけしてはいたものの、まわり稽古でご指導頂くのが久しぶりだった。体脂肪と筋肉量の減少がそれと見て取れる。体幹の維持にも影響するのであろうか、大変失礼ながら、太刀の威力が弱まっているようにお見受けした。胸がしめつけられた。                                                    非礼を承知で筆を進めていく。もちろん技はご健在である。 修正点をご指摘下さり、時間いっぱいまで繰り返しお相手して下さる。ありがたいと心から思う。 休憩時間にはいつもの笑顔でからかって下さる。 いや、今回だけではない。                                                                      ずっとお休みされている先生にも、同じように感じることがあった。人は誰でも年をとっていく。 他の先生も病の影響でずっと休まれていてお会いしていない…。 この動揺をどのように収束させたらよいのか…                                                                                                                                                                                                                                                     物理的に速く、力強く、安定した演武こそがすべてではない。 年齢を重ねて体に不具合があっても、たゆまぬ歩みの姿においては、 物理的な翳りはかえって精神のみずみずしさや明るさを照らし出す。                                            なぜ時間というものが存在するのか、時間とは何か。子供のころからずっとぼんやりと考えていたのだが、                           影があるから光があり、時間はそのプロセスを認識するためのものなのかなあというのがいま時点での理解である。                                                                                      出稽古の帰り道で 「先生方がみんな年取っていっちゃうよ!どうしよう!」とひとりとり乱して月に涙した。                                                               その分おのれが成長しろよ、と月が答えた。

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