杖術のみならず、武道というのはリクツだけ分かっていても出来るわけはなく、だからこそ「通信教育の空手で段取った」というのがギャグになるわけだ。さてそうかと言って不肖新弟子の場合、体が追いついていかないからその分を、やはりリクツで何とかしたくなるものである。これをおっさんの小ヂエとぞ言う。
2012年6月18日月曜日
2012年6月17日日曜日
2012年6月14日木曜日
2012年6月12日火曜日
杖道稽古メモ
こたびは時間を割いて、剣術の稽古をつけて頂いた。
杖ばかりでなく、剣の稽古もいいものだ。
前へ、中段に太刀を下ろす。後ろ足で、斬る。途中で、止まらない。
後ろへ、水平に太刀を下ろす。太刀は、前へ。
腰で、斬る。
それより、出稽古合宿に行ったご報告をすると、その成果を見せるようにと言われる。
ととととととととんでもない。
杖ばかりでなく、剣の稽古もいいものだ。
前へ、中段に太刀を下ろす。後ろ足で、斬る。途中で、止まらない。
後ろへ、水平に太刀を下ろす。太刀は、前へ。
腰で、斬る。
それより、出稽古合宿に行ったご報告をすると、その成果を見せるようにと言われる。
ととととととととんでもない。
2012年6月7日木曜日
どうなってるの?
お月様は定期的に満ち欠けし、夏は年に一度やってくる。とてもわかりやすい、波の上下だ。
ところが、技が身についたかどうかというのはそうでない。以前出来てたことが出来なくなったり、あるいは出来てたと思っていたのが実はぜんぜん出来ていなかったり、その波はもう行き当たりばったりだ。
ところが、技が身についたかどうかというのはそうでない。以前出来てたことが出来なくなったり、あるいは出来てたと思っていたのが実はぜんぜん出来ていなかったり、その波はもう行き当たりばったりだ。
2012年5月29日火曜日
杖道稽古メモ
今日はJ先生がお休み。なんでも首を痛められたという。
お大事になさって下さい。
それで先達の皆様と稽古。ウチの道場は少人数だけに、和気藹々と、しかも臨機応変に稽古できるところもすばらしい。
皆で稽古していると、お師匠様が細かく、技の留意点を指摘して下さる。
例えば1本目着杖についても、これまでとは一段上のあれこれをご指導頂いた。
ふむ。わかったぞ、出来てるように見える、思えるという段階とは、また別の境地があるんだな。
それは限りがない、ということなのだろう。
稽古終わり頃、しばらくお休みされていた先達の方がいらっしゃる。
会費をお持ちになったのだ。
一通りの稽古後、引き落とし打ちの相対稽古をその方と行う。
その力強さ、まるで古川先生に打ち込まれたときのようだ。
また、おいで下さい。
お大事になさって下さい。
それで先達の皆様と稽古。ウチの道場は少人数だけに、和気藹々と、しかも臨機応変に稽古できるところもすばらしい。
皆で稽古していると、お師匠様が細かく、技の留意点を指摘して下さる。
例えば1本目着杖についても、これまでとは一段上のあれこれをご指導頂いた。
ふむ。わかったぞ、出来てるように見える、思えるという段階とは、また別の境地があるんだな。
それは限りがない、ということなのだろう。
稽古終わり頃、しばらくお休みされていた先達の方がいらっしゃる。
会費をお持ちになったのだ。
一通りの稽古後、引き落とし打ちの相対稽古をその方と行う。
その力強さ、まるで古川先生に打ち込まれたときのようだ。
また、おいで下さい。
2012年5月11日金曜日
武芸と人格
侍は、とにかく武芸に精を出すべきである。
広く世の中の人を見ると、武芸を好む人には、人柄の悪い人は少ない。しかし学者はたいてい、人柄が悪い。
学問をする人の中で、ひねくれ者は回りくどい役立たずになり、才能がある人はやりたい放題のわがまま者になる。いわゆる、学者馬鹿という者である。
武芸者には頑固な人もいるが、その人柄は、学問をした者より、たいていは良いと言う事が出来るだろう。
湯浅常山*『文会雑記』
*湯浅常山:江戸中期、岡山の儒学者。著作に『常山紀談』など。
常山先生は名の知られた学者であると同時に、武術の稽古を欠かさなかった人のようだから、こうおっしゃるのももっともだ。
新弟子はずいぶん長い事、学問の世界にいた(今もいると言っていいかも)ので、常山先生の言う事はもっともだと思う。杖道を含め、武術を稽古し始めてから3年ほどになるが、この世界には人格者がいるものだなぁ、と感心する事たびたびである。
これを、武道界にいじわるな人はいない、と勘違いすれば、それは論理的でない上に甘えというものだが、今後どのような立派な方に出会うかが、楽しみではある。
広く世の中の人を見ると、武芸を好む人には、人柄の悪い人は少ない。しかし学者はたいてい、人柄が悪い。
学問をする人の中で、ひねくれ者は回りくどい役立たずになり、才能がある人はやりたい放題のわがまま者になる。いわゆる、学者馬鹿という者である。
武芸者には頑固な人もいるが、その人柄は、学問をした者より、たいていは良いと言う事が出来るだろう。
湯浅常山*『文会雑記』
*湯浅常山:江戸中期、岡山の儒学者。著作に『常山紀談』など。
常山先生は名の知られた学者であると同時に、武術の稽古を欠かさなかった人のようだから、こうおっしゃるのももっともだ。
新弟子はずいぶん長い事、学問の世界にいた(今もいると言っていいかも)ので、常山先生の言う事はもっともだと思う。杖道を含め、武術を稽古し始めてから3年ほどになるが、この世界には人格者がいるものだなぁ、と感心する事たびたびである。
これを、武道界にいじわるな人はいない、と勘違いすれば、それは論理的でない上に甘えというものだが、今後どのような立派な方に出会うかが、楽しみではある。
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